ありがとうという人、すみませんという人

哲学

誰かになにかしてあげたときに、「ありがとう」という人と、「すみません」という人がいます。

筆者自身も、なにかしてもらったときに、ありがとうとすみませんの両方を言った経験があります。

 

ありがとうは感謝で、すみませんは謝罪の言葉ですよね。

意味合い的には、正反対と思われる言葉なのに使用するタイミングが同じです。

昔から氣になっていたので、今回はありがとうという人とすみませんという人というテーマで考察していきたいと思います。

ありがとう(すみません)を伝えるタイミング

買い物した時、プレゼントをもらった時、慰められた時、などなどありがとう(すみません)というタイミングは対人関係において、なにかしてもらった時がメインだと思います。

この場合に、ありがとうとすみませんのどちらを使ってもかまいせんが、なにかしてあげた側からすると、ありがとうの方が嬉しいのではないかと思います。

頭では、そりゃあそうだと分かっていながらもすみませんと言ってしまうことがあります。

もしくは、「ありがとう、ごめんね。」といった合わせ技を繰り出す人もいますね。

 

単語だけで考えてしまうと、視えてこないので前後の会話を言語化していきます。

ありがとうのイメージ画像とすみませんのイメージ画像

「この僕に○○してもらってありがとう!」

「こんな僕に○○してもらってすみません・・・。」

イメージ画像を見てもらうと、ありがとうという人とすみませんという人の違いが分かりやすいかと思います。

こんな風に、感謝している人と謝罪しているイメージが湧いてきます。

では、どうしてこういったイメージになるのか考えていきます。

ありがとうとすみませんに隠された思いとは?

イメージ画像から推測する文言の違いを見てみると、

・「この僕」↔「こんな僕」

・「ありがとう」↔「すみません」

この2点に違いがあります。

 

ですので、この僕とこんな僕の違いが分かれば、ありがとうという人とすみませんという人の違いが視えてくるというです。

ありがとうという人

「こは弧(恐れ)」、「のは=」と解釈できます。

つまり『この僕』というのは、自分が自分のことを受け入れられている心理状態です。

分かりやすく言うと、自分で自分の事を価値がある(高い)と思っています。

すみませんという人

※赤丸=愛、黒丸=恐れ

「こは弧(恐れ・黒)」、「んな」は含んでいると解釈します。

 

つまり『こんな僕』というのは、自分が自分のことを受け入れられていない心理状態です。

分かりやすく言うと、自分で自分のことを価値の無い(低い)人間だと思っています。

まとめ

今回はありがとうという人、すみませんという人というテーマで考察していきました。

自分で自分をどう思っているのかが、言葉遣いとして表れてくることが分かってもらえたかなと思います。

他人に自分がどう思われるのかは、相手次第なのでコントロールできない領域です。

しかし、自分が自分をどう思うのかは好きに考えることが出来ます。

 

どちらがより良い人生を送ることができるでしょうか。

自分には価値があると思うのか、価値がないと思うのか決めるのはあなた次第です。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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